お寺でお塔婆を無事受け取り、お墓へ。
父の家のお墓は、結構山の上で子供のころは草に囲まれた砂利道をみんなで地道に上っていました。
それが今回は舗装されていて、車でお墓のあたりまであっという間に行けるようになっていたので、時代を感じました。
お墓でも、父は父の実家(現在は空き家)の近所の人に会いました。そして寄って行ってといわれたそうです。(寄らなかった)
お墓は父が事前に来てお掃除をしていて(近々でのことだったので、岩手まで2往復することがすごいと思うのですが)きれいになっていました。
お花とお菓子をお供えして、線香に火をつけます。
子供たちは、それまで車の中で待機していました。なにしろ山の中で虫が多いどころが、
ぶよや蜂に刺される危険があったので・・・日蔭に車を止めて、2~3分置きに見に行っていましたが、
虫が窓にあたる「かつ、かつ」という音で上の子は泣いていました。怖かったみたいです。
前に来た時は、上の子は車外に出すなといわれてお墓参りもしませんでしたが、今回は違って父が
「風が強いから、虫が飛ばされるから(大丈夫)、降りておいで」と言いました。
さすがこの地域で育った父です。子どもたちに一応虫よけをして、車からおろし、上の子もしたの子も初めての、墓参りです。
「なむなむだよ」と言って、拝むことを教えました。
5つくらい親戚のお墓も周り、お墓参りは終了です。
今回の旅行のメイン行事は終わりました。
その後、少し遠いのですが、気仙沼という漁港に行こうということになりました。
気仙沼も、大震災で津波に流されたはずです。
父はもう復興して再開していると知っていて、
私たちと昔訪れたその漁港を見に行こうと誘ってくれたのでした。
流されてしまったあと、どのように復興したのか、ぜひ見に行きたいと思いました。
気仙沼の街に到着し、漁港までの道のりで、津波によって1階部分が崩れたビルなどをたくさん見かけました。
更地になっているところも。
土地自体を底上げする工事も行われていました。
プレハブ小屋で営業しているお店があつまった復興村なども見つけました。
漁港についたら、目にしたのは「震災の津波がここまできた」という壁につけられた目印でした。
【夏の旅行の思い出 8へ続く】