座禅体験 効果は?やり方は簡単 宗派は?臨済宗や曹洞宗の違い

体験者から、座禅良かったよ!と熱く語られて、言われるがままに座禅体験をしてまいりました。

座禅は近年ブームになっていますね。

話が耳に入ってきたときは良さそうだな、と思ったのですが、

なんにせよ、敷居が高そう、雰囲気がわからない、自分に合うか、お坊さんが怖いかもなどと
考えると一歩踏み出せなかったのです。

さらに場所は朝早いと近所でないと行けないし、宗派のことや作法のこと、

無の境地になれるものなのか、座禅の心構えなど・・・もう不安だらけ。

でもその体験者は行くまで悩んでいたのに、一歩その世界に踏み出したらさっぱりした顔をしています。

前述の不安を私と同じように抱えていたけれど、そんなに不安にならなくても大丈夫だったと言うのです。

それで私にも勧めてきたのでした。

「座禅って、マインドフルネスの元になっているんだよね。Googleが社員研修でも取り入れているって」と聞いてますます気になりました。

そんなことを聞いて、そんなにいいのか~とますます気になります。

そこで私もえいっと飛び込んでみると、難しく考えすぎていたことが分かりました。

なんにも知らなくても、初心者でも大丈夫。

座禅の世界を体験するその最初の一歩を踏み出すところをお伝えします。

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Contents

座禅体験 どんな効果を感じたか

私自身はなぜ座禅をしようかと思ったかというと、現状を打破したかったからです。

日々いろいろ考えすぎて、少し疲れが溜まってきていました。

座禅で何も考えないということをすれば、癒しになるのではないかと期待したのです。

そうすれば、こんがらがった考えまくりの日常をリセットしたら、今やるべきことがもっとシンプルにみえてくるんじゃないか!

などなど、心の中でご利益を想像していきました。

実際に座禅をした効果ですが、何かをしなきゃと思っている毎日の中で、

何もしないというか「ただ座っていることをする」って贅沢な時間だなと感じました。

ぼーっとするでもなく、座るということに集中する。

いろいろ考え出したら、座っていることに集中しなおす。

眠たくなっても、座禅しているんだった、と思い気持ちを整える。

組手が変な形になってきたら、いけないいけない、と整える。

40分という時間がどのくらい経ったのかわからない、時計を見ることはできなくて

自分が今どの時間にいるのかふわーっとしていました。

毎日、パソコンやスマホを眺め、時間を見てという行動をしていた中でたまった、不自然な習慣という毒素が蒸発していくような不思議な感覚がありました。

あと、正しい姿勢で呼吸をしながらリラックスして座り続けるので、終わったあとは肩から腰にかけてちょっと軽くなったような気がします。

頭の中で、座禅とは無関係の過去のこと現在のこと未来のことがあたまに浮かんできます。

座禅をやっている自分がどう見えるかとか妄想がふわっと浮かんできたりしましたが

座っていることは誰のためでもなく自分のためなのですね。

仏教の道の方が10年座禅をやって悟りが開けたなどという話しを思いだし、

自分と向き合うってこういうことか、と納得でき、悟りの境地にたどり着くまでの

ものすごく小さな一歩だけ、その世界に踏み込めた感じがしました。

座禅のやり方は簡単 とにかくリラックス

今回お世話になったお寺は浦安駅から徒歩20分のところにある秋葉山新井寺でした。

秋葉山新井寺(あきはさん しんせいじ)

月に1回、日曜の午後3時からできるというので予定が立てやすかったです。

まずは予約の電話を入れました。

電話の向こうで、和尚さんらしき方が親切丁寧に受け答えしてくれます。

物腰の柔らかい感じ。

座りやすい格好(ズボン)、靴下をすぐ脱げるようにしておくこと、場所や来たら本道に入ってお賽銭をあげることなど説明されました。

実際にお寺に到着。初回なので30分前に来るように言われていました。

到着すると、さっそく副住職が初回の私にマンツーマンで説明してくださいます。

座禅とはなにかや宗派によってやり方が違うこと(次章)、曹洞宗のは座禅を坐禅と書く事、座っている間の心構えなど。

坐蒲というお尻の下に敷くまるい玉のようなクッションの座り方、足の組み方、姿勢の正し方、呼吸の仕方、手の組み方を教わりました。

午後3時になると、本道の扉がしめられ、手を合わせて礼をしたり、動作を促されるので従います。

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坐禅開始。壁に向かって座ります。手荷物は目の前においておけます。

ほかの方の様子は動けないので横目でちらっとしか見えませんが、シーンとしています・・・。

時間が半分か経ったころでしょうか、坐禅で木の棒?みたいなものでばしっと叩かれました。

これはない場合のこともあるようです。

聞いてなかったのでとまどいましたが、肩にちょっと触るものがあったら、首を倒せば良いようです。

ちょっとだけ痛かった^^;

40~45分後、坐禅が終わる鐘がなり、体を緩めます。

坐蒲を片付けるように促され、そのあとお経の本を配られます。

言われたところを、住職たちと読み上げます。

住職のお話があって、終わり。

このあと別室でお茶会という質疑応答の時間に参加できたのですが、私は時間の関係で断念しました。

終わったのは午後4時すぎでした。

座禅の宗派による違い 臨済宗と曹洞宗

私が副住職から伺った座禅をする前にしていだたいたお話がとっても良かったです。

あいまいなところもありますが、ざっくり次のようなお話だったと思います。

座禅をする宗派がいくつかあって、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗があります。

座禅の座り方が違って、臨済宗は人と人が向かい合って座り、曹洞宗は壁に向かって座ります。

座り方は、お尻、両膝の3点で体を支えて安定させるのですが、足の組み方が2種類あります。

両足を組むのがけっかふざ(結跏趺坐)で、右足を左の太ももあたりに乗せその上から左足を右の太ももにのせるのですが、
関節が硬いのと痛いのとでできませんでした。

そこで、片足を組むはんかふざ(半跏趺坐)にしました。

右足は床と坐蒲のところにきゅっと近づけ、左足だけ、右太ももに乗せます。

足を組んだら、坐蒲を後ろからぎゅっとお尻の下に押し込んで、

膝を床に付き、体を左右に揺らしながらバランスの取れる、良い位置を決めていきます。

曹洞宗は何かを問いかけるとか、お題とかは全くなく、とにかくリラックスと言われました。

そして、坐禅の間は、目をとじません。寝てしまうからだそうです。

視線は正面をみてから、少し下に落とします。

一点だけを見つめ続けていると気持ち悪くなるので、目先を変えても構わないそうです。

そしてただ「座ることをするために座る」。

子供は遊ぶときに何のために遊ぶなどは考えていなく、ただ遊んで楽しいと思っている。

大人になるにつれ、褒められたいから勉強する、目的を達成するために作業をする。

その繰り返しになってきて、なにをするにも先のことを追い求めてしまい、いつも何かを忙しく考え続けるので、

自分が何かを感じたりすることを忘れてしまいがちになる。

目の前のことを楽しむことや集中することで、

当たり前になってしまっていることや小さな幸せを発見することなど

に気が付ける。

曹洞宗の坐禅は、とにかくリラックスして、座る。

初めてだと緊張するかもしれないけれど、怖いところではないし、

厳しい作法などもないので体の力を抜いて、姿勢よく、リラックスして座る。

そうすることで血の巡りなどが良くなって、体を健康にしましょう。

このようなお話だったと思います。

ほかの宗派がどうこうではなくて、曹洞宗のやり方はこのような感じだということでした。

基本の姿勢など教わったら、あとはある意味自由です。

明日痛くなりすぎたら、組み替えたり、解いたりしてもいいとのこと。

ほかの坐禅の方の邪魔にならない配慮をすればトイレも行けます。

まとめ

私は人と向かい合って座るよりは壁が良かったので、はじめての体験が曹洞宗で良かったです^^;

座禅は厳しい修行みたいなイメージがあったのですが、もっと身近で取り入れやすい感じがしました。

お寺の雰囲気にもよるのかもしれませんね。

年末に、座禅で年越しも行われるみたいで、そんな年越しもいいかもと思いました。

たった1回で偉そうなことは言えないのですが、座禅のあとはすっきりしました。

体も、気持ちも。

これがマインドフルネスの元になっているのなら、マインドフルネスっていいものなのかなあと興味も広がりました。

このお寺は座禅会が月1回の開催なので、年に12回できるのですね。

全くお話はしなかったのですが、ほかに来ている方は10人弱で、ご年配の方が多く、40代くらいの方もちらほら見えました。

是非、体験してみてくださいね^^

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